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早く終わりたくて10年間過ごす人たち~50歳から

 定年退職後のさまようシニアの気持ちをテーマとした小説「終わった人」を一気に読んでしまいました。初めは、とても共感出来るところがあり面白くて時間があれば手に取っていました。読み終えた時に、なら、僕の「終わったとき」はいつなんだろうって思いを持ちます。少し考えていると、この主人公の様に終わったんだと大小比較できるような人生だったのかなぁと思い始めます。確かに誰にでも、あぁ、もう、終わったんだって時はありそうです。

 実は今から13年ほど前の話です。当時、僕の勤めていた会社では労働組合も早々と早期退職再雇用の制度を推奨する側に回り、50歳以降はそのまま「地域に残り3割の給与カット」を飲んで子会社し60歳から時給875円(これでハナコさんと呼ばれていました)へ転籍するか、それとも「全国転勤を了承し、何処でも行きます」給与はそのまま現状維持ながら60歳以降の再雇用はしないといった(通称、満了型)二択を迫られていました。

 殆どの社員は不満を口にしながらも労働組合さえも会社側と協調し進める制度に殆どの社員が暗黙の同意を求められ、愚痴をこぼしながらも従うしかなく、ほぼ100%近くの社員が前者の条件を飲んでそのまま地域に残りました。そんな中、僕を含め2、3名が後者の選択をして関西へ強制転勤されます。

 その後、7年間ほどこの制度は続きましたが、その後、僕の住む地域からは一人としてこの選択をする人は現れませんでした。

 当時、そんな事を会社側が快く思うはずが無く、かなり強く何度も思い留まるように迫られました。そうなれば、会社からの評価も下がり給与はダウンし、そのまま、あっちこち飛ばされ一生帰れなくなるんだよ、などと、かなり、あの手この手と脅されたものです。

 しかし、それに応じて留まっても大幅な収入ダウンを余儀なくされ、先の人生に大きな打撃となる事は変わらず、会社が敷いた突然で勝手な都合は、到底、受け入れるべきではないなと強く思い、これは自分に対する新たな試練であり、いずれはV字回復する時期が来るんだと、固く信じて決意を新たにしたのを覚えています。

 同僚たちも、僕の選択は上手く行くはずが無く、どうせ「太く短く生きる」つもりの一時的な考えなんだと思われていたようで、その後、偶然会った1歳上の元職場の先輩から近況を聞かれるより「いつ辞めるの?」って聞かれたくらいです。残った人たちはそういう風に思っていたんだと改めて知り驚きました。

 その当時、会社は先々の社会環境に向けてインフラ整備はグループ会社化し、販売サービスの提供メニューや人員配置を法人オンリーにしようとしていました。

 反面、コンシュマー営業は窓口を廃止し、ネット販売や関連会社の営業に限定させ、本体は法人営業に徹するという戦略に転換していました。

 離反した我々には、一線を引いたリストラ部署にて徹底的な労務管理を始めました。設立にあたり会社は、その方針や広域人事に反対する第二、第三組合の社員たちへの警戒も強めました。

 でも、皆さん、晴れ々とした顔をして去っていくのを見て、「この日を待っていたんだなぁ」と感じたものです。本音は「5年も早く退職、嬉しい」なんでしょうね。

 我々の様な生活面での反発から選択に至った連中も含め、特定のビルに分散させられました。中々、労使間の業務範囲の仕切りがなされないまま、半年間は来る日も来る日も100名程の50歳を超える社員が1日中チラシの折り込みやたまの気晴らしで近隣への営業研修と称するプチ営業で一日の勤めを終えていました。こういう無駄をしてくれる会社は他には無いでしょうね。

 こんな状況でこれから先、60歳まで10年間を過ごすのかと不安になったのを想い出します。しかし、地元関西の社員がほぼ9割を占め、大阪のお客様からもとても親切にして頂けたのが本当に救いでした。

 そういう風潮を受け入れ、自分なりに営業に工夫を施すと順調に営業成績にも成果が表れ始めました。会社に反発して実績を上げたがらない(実際には、上がらない言い訳にも聞こえましたが)人が大半の部署の中ですから、少し客目線で働けば、簡単に常に1、2位の実績が積み上がり、給与の評価も極めて少ない椅子取りゲーム的な面はありつつも良い方向になって行きます。こういうなところもモチベーションアップにつながると感じ、人の心をつかむ営業のオールマイティーな面白さにハマって行きました。

 こういった状況が、折れそうになっても最後まで折れなかった、もう「終わっている」と感じる事がなかったんだと思います。ある意味、再雇用を選択し65歳で最終定年を迎えるケースでこうなったか?

 僕の場合、60歳での「定年再雇用」は拒否されたので、退職日よりかなり早く前からハローワークやインタネット求人で色々な会社の面接を受けたり、ネット応募に明け暮れていました(これはこれで楽しく)、その甲斐があってか、運良く前職の業務内容に近いと思う、今の職に空きが出たのをタイムリーに知り得ました。これも、早くから転職活動を始めていたからで、ただのラッキーでは無かったと感じてます。

 余談になりますが、副業でプログラマーもやっています。最近、自分のサイトを開設しました。何を屋台骨にするか随分悩みましたが、自分の経験から人生は紆余曲折でなにがあるか分からない、僕の様にメイン路を外されても「早く終わりたくてワクワクしている人」たちに少しでも役立てる事をしたいと思い「副業になるプログラミング教室」を構築中です。

 正直、もう何かが終わった感はありますが、何もせずにはこのまま「終われない人」にだけはならない様にしたいですね。